活動報告
安住太伸レポート(別冊)
ドイツ見聞録4部
未来を創造する責任
滞在三日目の夜、ベルンハルツヴァルト郡役所に郡長さんを表敬訪問した折、レセプションを開いていただいた会場は、なんと、通常、議会の本会議場として も使われている場所だとのことでした。それだけではなく、その会場は、その他にも、例えば結婚披露宴の様な様々な民間の催しにも活用されているとのことで す。
聞けば、ドイツでは、こうした取り組みはごく一般的なことで、他にも、例えば公共交通部門では、公営のバスと民営のバス、あるいは電車などが、駅やホー ムなどの施設利用はもちろんのこと、一元的な料金と時刻表で運行管理されているなど、日本では考えられない様なサービスが展開されているとのことでした。
官民の隔たりを超えて、互いに持っている資源を徹底して有効に活用することで、真に利用者の利便性や「暮らしの豊かさ」を実現していこうというその姿勢には、感銘を通り越し、衝撃すら受けました。
残念ながら、今回の視察に関しては、多分に主観的で数値的な裏づけに乏しい報告しかすることができませんが、それでも従来とは異なった視点から、「真に 市民の暮らしを豊かにするために必要なものは何なのか」という部分で、多くの有益な取り組みを確認することができたのではないかと自負しております。
逆に、「なぜ、今まで、こうしたことが議論されてこなかったのか?」「本市が現に直面している様々な課題に明確な視座を提供することにもなる同様の情報 が、なぜ、今まで明らかにされてこなかったのか?」、そうした政策論議を形成すべき責任を担っている者の一人として、本当に恥ずかしく、また申し訳なくも 感じてしまいました。
今、為すべきことは
今、率直に思います。極論ですが、情報封鎖をされている国の国民の様に、我々は、「ごく普通の市民が、あたり前の様に豊かに暮らせる」、そんな社会が地 球の裏側にあるという事実から遠ざけられてはいないだろうか?日本の先進的な自治体ですらなし得ていない様な、現地の、その環境の中に身を置き体感してみ てはじめて分かる様な、真に市民にとって有益で必要な情報から、疎外されてはいないだろうか?
その意味で、過去、何度となく、与野党問わず、「視察」という名の下に繰り返されてきた海外調査の成果が、現実に「市民の暮らしを豊かにする」という点 から、それを可能とする制度の導入という部分にどれほどスポットライトを当ててきたのかは、あらためて検証される必要があるでしょう。
また、同様に、仮にせっかくそうしたものを持ち帰っても、受け止める行政側に、「法体系も国民の価値観もまったく異なる国の制度を云々されても…」といった「変革」に対する後ろ向きの意識が本当になかったかどうか…。
そうした議員、そして行政職員双方の状況が、結果的に「今、まさに目の前にある課題をどう解決するか」という強い目的意識に必ずしも裏付けられることの ない、様々な優れた取り組みを「紹介」することが中心の、純然たる「先進地」視察の継続へとつながってしまったのではないでしょうか?
そうした点をしっかりと見つめ直し、変えていく必要があるものと思っています。ふるさと旭川が抱える様々な課題の解決に極めて有効だと思われる「そこにしかない」行政、自治のあり方は、確かにありました。
今、我々に本当に必要なのは、「海外視察の是非」を云々することではなく、「市民の暮らしを現実的に豊かにする」という明確な目的の下に、国の内外を問 わず、有効な情報をしっかりと市政の中にフィードバックしていくこと、それを効果的に進めるための仕組みの確立なのだと、あらためて感じた次第です。<
誰がその豊かさを実現するのか…
そして、そうした前向きで強い目的意識を持った論議は、自分以外の誰かに責任を求めるものではなく、議員も、行政職員も、そしてもちろん市民の皆さん も、お一人お一人が主権者としての、社会を構成し発展させていく「大人」としての自覚と責任をはっきりと認識するところから始まるのではないかということ を、あらためて強く感じたところでもあります。
私が今回の訪独で最も衝撃を受けたことの一つは、ドイツの方々が、言うなれば暮らしの中のあらゆる場面で我が国と比べ、極めて自律的なものの考え方をし ているということです。そのことを、強烈に実感する事柄がいくつかありました。例えば、今回、私が訪問したレーゲンスブルク郊外の歴史遺産で、白亜のギリ シャ神殿を模した「ワルハラ」という名の一七世紀初頭の建造物を見学した時のことです。小高い丘の上に立つその建物は、頂上の建物の入口にたどり着くまで に、丘の中腹から実に三百五十八段もの大理石の階段を上らなければならないほどの高さがあります。ですが、その石段の途中はもちろんのこと、建物本体も含 め、周囲のどこにも防護柵やネットなどの代物が見当たらないのです。
そして、ガイドブックの最初のページに次の様な注意書きがされています。
「警告!危険!」「ここでは深刻な事故が起こっています。来訪者は白い境界線を越えない様にしてください。お子さんには特にこのことをしっかりと注意し てください。バイエルン州政府とその職員は、この警告に注意を払うことなく発生したいかなる損害についても責任を持つことができません」
この点、実際にむこうに行かれたことのある方は、恐らく、「電線」以外でも、そうした「景観」の大きな違いを感じた記憶があろうかと思います。それは、高い塔でも、川の岸壁でも、基本的にどこでもすべて同じです。
私は思わず、聞いてしまいました。「どうして、こんなに高いところに柵も何もないのですか?」。いわく、「柵?そんなもの作らなくたって、危ないかどうかは一目瞭然じゃないか。転がり落ちない様に、それは『自分』がしっかりしなきゃ!」
つまり、そうした自己管理は、レジャーにせよ景観にせよ、暮らしを楽しむ上で行政の余計な規制を許さない代わりに、自らに課した「責任」ということなのです。その言葉に私は、成熟した市民が暮らしを楽しむドイツの「豊かさ」の真髄をみた思いがいたしました。
いずれ機会があれば、ぜひ、こうした部分について、より多くの皆様と一緒に考えることができればと願っております。では、拙稿への気の長いお付き合いに心から感謝を申し上げ、筆を置きたいと思います。ありがとうございました。
女性陣は色とりどりの艶やかな浴衣姿。男性陣は浴衣の上にハッピという出で立ちでパレードをした自衛消防団125周年の記念祭。
1時間ほどのパレードの間中、絶え間なく温かい拍手と笑顔に迎えられる中、国籍や言葉の違いなど、心の交流にとっては何の意味もないことをあらためて強く感じた、そんな思い出の中でのひとコマです。
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