04月21日02:33:41
涙、涙の物語り?!
日中、20度を超える日が続くようになりました。
家でよく話をしているのですが、旭川って、
気温の変化が極端で、何というか中間点がないような…
それはともかく…
街の成り立ちと産業の盛衰や
主に、地域固有の食文化とのかかわりについて
お話を伺う機会がありました。
道内の、とあるマチにおける本当にあったお話です。
そのマチの曙は、
早くから、川伝いに入植をされていた方々の手によってではなく、
20代半ばを過ぎたばかりの隻眼の若者によって、
一説によれば、たったの数ヶ月で、一気にもたらされたと聞きました。
彼は、求めて努力をし、同郷の二宮尊徳一門に学ぶ機会を得て、
測量、治水など、当時最先端の土木技術や農業に関する様々な知見を、
学問と実践の融合を通して身につけていました。
1866年4月23日、
ロシアの南下を防ぐため、
蝦夷地への大規模な入植の推進を、との命を幕府から受け、
候補地探索のため、石狩湾から川を遡り、
2つの川が近接することで肥沃な層が堆積している地を見出します。
新たな土地に根を下ろし、暮らしを立てるためには、
まず、食料生産の途を確立しなければなりません。
しかし、彼は、闇雲に農業用地を開墾することはせず、
適切な灌漑を確保するための綿密な測量を行うことで、
土地の高低差から、2つの川のどちらから水を引き、
どちらへと流せばよいかを最初に割り出しました。
次に、緩衝となるため池をつくって、一旦、
川から受け留めた水を真っ直ぐな掘割で内陸部へと効果的に導水し、
その一方で、氾濫を避けるために水みちを上手く逃がしながら
低いほうの川へと堀をつなげ、効率的かつ安全に、
農業、生活用水を確保することに成功しました。
後年、その掘割は運河として、資材の搬送など、
本格的な都市造成に大きな役割を果たし、
同時に、日本で初めてとなる、ある栽培作物の輸送にも、
大いに貢献したそうです。
時が下り、既に、その若侍は、かの地を離れた後でしたが、
その掘割と垂直に交差し、神宮へと向う道が、
南北を分ける中心線と定められ、
さらに、掘割を隔てた東西を、また、それぞれ別の街区として
造成していくことで、やがて、
整然とした街並みとその都市の発展が創り出されていったとのこと。
そうです。
今の札幌、創成川と大通。
2つの川とは、豊平川と伏古川(伏篭川)。
ある作物とはタマネギのことでした。
結局、ひとりの若侍が描き、創り上げた骨格が、
現在の札幌というマチの、すべての都市基盤、
それを形作った産業基盤、そのものになっているのです。
いつの時代でも、どんな地域でも、
未来に向って開かれたまちづくりの基礎となるのは、
その時代と地域にあった戦略的な施策の展開と、
それを支える確かな知見なんですよね…
このマチ、旭川もまた、然りではないでしょうか。
後段、同様に、21世紀旭川の行方を左右するであろう
旭川駅前広場再整備のあり方に話題が及び、
大いに盛り上がってしまいました。
次回以降、その内容について、少しずつ、触れてみたいと思います。

(可愛らしい花たちが、次から次へと)
家でよく話をしているのですが、旭川って、
気温の変化が極端で、何というか中間点がないような…
それはともかく…
街の成り立ちと産業の盛衰や
主に、地域固有の食文化とのかかわりについて
お話を伺う機会がありました。
道内の、とあるマチにおける本当にあったお話です。
そのマチの曙は、
早くから、川伝いに入植をされていた方々の手によってではなく、
20代半ばを過ぎたばかりの隻眼の若者によって、
一説によれば、たったの数ヶ月で、一気にもたらされたと聞きました。
彼は、求めて努力をし、同郷の二宮尊徳一門に学ぶ機会を得て、
測量、治水など、当時最先端の土木技術や農業に関する様々な知見を、
学問と実践の融合を通して身につけていました。
1866年4月23日、
ロシアの南下を防ぐため、
蝦夷地への大規模な入植の推進を、との命を幕府から受け、
候補地探索のため、石狩湾から川を遡り、
2つの川が近接することで肥沃な層が堆積している地を見出します。
新たな土地に根を下ろし、暮らしを立てるためには、
まず、食料生産の途を確立しなければなりません。
しかし、彼は、闇雲に農業用地を開墾することはせず、
適切な灌漑を確保するための綿密な測量を行うことで、
土地の高低差から、2つの川のどちらから水を引き、
どちらへと流せばよいかを最初に割り出しました。
次に、緩衝となるため池をつくって、一旦、
川から受け留めた水を真っ直ぐな掘割で内陸部へと効果的に導水し、
その一方で、氾濫を避けるために水みちを上手く逃がしながら
低いほうの川へと堀をつなげ、効率的かつ安全に、
農業、生活用水を確保することに成功しました。
後年、その掘割は運河として、資材の搬送など、
本格的な都市造成に大きな役割を果たし、
同時に、日本で初めてとなる、ある栽培作物の輸送にも、
大いに貢献したそうです。
時が下り、既に、その若侍は、かの地を離れた後でしたが、
その掘割と垂直に交差し、神宮へと向う道が、
南北を分ける中心線と定められ、
さらに、掘割を隔てた東西を、また、それぞれ別の街区として
造成していくことで、やがて、
整然とした街並みとその都市の発展が創り出されていったとのこと。
そうです。
今の札幌、創成川と大通。
2つの川とは、豊平川と伏古川(伏篭川)。
ある作物とはタマネギのことでした。
結局、ひとりの若侍が描き、創り上げた骨格が、
現在の札幌というマチの、すべての都市基盤、
それを形作った産業基盤、そのものになっているのです。
いつの時代でも、どんな地域でも、
未来に向って開かれたまちづくりの基礎となるのは、
その時代と地域にあった戦略的な施策の展開と、
それを支える確かな知見なんですよね…
このマチ、旭川もまた、然りではないでしょうか。
後段、同様に、21世紀旭川の行方を左右するであろう
旭川駅前広場再整備のあり方に話題が及び、
大いに盛り上がってしまいました。
次回以降、その内容について、少しずつ、触れてみたいと思います。

(可愛らしい花たちが、次から次へと)
投稿者: ちょびりこ。
旭川市民だけでなく道民が『北海道の旭川』に関心を持つことも大事な気がします。